ようたろうのメモ

ウマ娘にハマったので、雑誌や本から関連しそうなものを抜き書きしています。妄想創作考察などにお役立てください

負けず嫌いの二人の決別――赤城麦「白球の葬式」

 

 ていねいなマンガだと思った。細かいところまで配慮が行き届いている。余分な情報を排除することで、中学生特有の自尊心と虚栄心が高く、だからこそ純粋で澄み切った青春を描いていた。

 

 

shonenjumpplus.com

 

 2021年12月29日「少年ジャンプ+」掲載。36頁。

 

 瀬川弥生の視点から語られている。彼女の性格は努力家で負けず嫌いである。そして「女子」と言われて蔑まれることに立腹している。リトルリーグでは「豪速球のストレートが武器」だと噂されるほどのピッチャーで、中学校1年生の頃からレギュラーに抜擢される実力を持つ。
 その瀬川に突っかかってくるのが吉田豪。瀬川と同じように負けず嫌いで、性格が似ていることは練習パートの動きをシンクロさせる描写で表している。入学時はチームの中でも背が一番小さいが、三年生の頃には予餞会のバッターで四番になるくらいに成長している。
 瀬川が一年でレギュラーでポジションを獲得したのに対して、吉田は取れず、その悔しさから「バッティングで打ち負かす!」と宣戦布告する(これが予餞会の勝負に繋がっている)
 主人公の瀬川と吉田が三年になり、公式戦がすべて終わった予餞会(卒業式の前、最終学年の送り出し会)試合の前に瀬川は吉田を呼び出し、「あんたの2打席目全部ストレート投げるから勝負して」と勝負を挑む。
 瀬川と吉田は一年の頃からお互いに勝負を続けている。戦歴は吉田の圧倒的な負け越しのようで「戦績は193勝0敗50引き分け 確かそれくらい」。大切なのは瀬川から見ると表だった勝負では一度も負けてはいないこと。勝利回数が半端な数なのに対して、引き分け数が切りの良い数字でざっくりしているところ。「それくらい」曖昧なはずの勝利数は端数で分かるのに、勝利ではない引き分け数は曖昧になるところが、なにかを認めたくない心理が働いているのではないかと想定できる。
 三年生の選手としての瀬川は試合中、打たせてとったり、三振させる描写があることからピッチャーとして強いのだろう。さらにストレートだけではなく「カーブやらスライダー」を投げられることもわかる。だが球種を増やしたのは選手として成長したこともあるだろうが、反面豪速球のストレートだけでは勝てなくなっていたことも想定できる。

 瀬川と吉田がよく使うキーワードに「ムカツク」がある。
 特に瀬川はことあるごとにお互いに対して「ムカツク」。しかし時間を経ていくに連れてムカツク理由が変わっていく。
 予餞会でのムカツク(8頁)は複雑な感情のムカつきで、その感情に至るまでの経緯を説明するために、その後の過去の回想がある。
 一年生で最初のムカつきは「女子かよ」と吉田に蔑まれたことに対する腹立たしさ「絶対潰すクソチビ」からきている(9-10頁)
 練習を繰り返していくうちにムカつきが変遷していく「女子だからってバカにしてきて」「負けてるくせに偉そうで」「しつこくて負けず嫌いで」。ここでのムカツクは、なぜ勝負に負け続けているのにそれでも勝負を挑み続けるのかに対する違和感である。同時に瀬川が吉田のことを認めていく過程も描かれている。
 そして引き分けるようになってきて、ふと顔を見上げて背の高さに気がついたときの「本当――ムカツク」(16頁)は初めて「身長」で負けたこと。
 「これから吉田だけどんどん伸びて 私は止まったままとか そんなのムカツクじゃん」(31頁)は実際の勝負で初めて負けて、身体的な差を越えることができないことの腹立たしさと、諦めを受け入れようとする葛藤から来ている。
 瀬川の「ムカツク」は怒りの感情の他に、違和感の言い換えでもある。この違和感はなにか。
 対して吉田の「ムカツク」はもっとシンプルで負けていることへのムカツクだった。一度負けたところで吉田にとってみればまた勝負すればいいくらいに考えている。だから瀬川が白球の葬式を行ったとき「そんな打たれたくらいで」と、瀬川自身の自殺へのほのめかしと勘違いする。
 ここでようやく負けず嫌いで似ているはずの瀬川と吉田の違いが徐々にでてくる。
 野球を辞めることを前提にしている瀬川と、続ける吉田との違い。成長による身体的な差もあるが、それは野球を辞める理由にはならない。負けたとしても野球は続けられるからだ。瀬川は予餞会の前日の夜遅くまで練習をしていた野球を別に辞めなくてもいいのに辞めようとしている。その理由は「負けたくない」からだ。

 ここでようやくなぜ瀬川が葬式を行ったのかの理由がハッキリとしてくる。
 最初は葬式をする予定などなかったのではないか。
「「勝ち」なんてやってたまるか 無敗のまま格好よく死んでやる」と言っている。無敗の美しさ、完璧さは青春の特権ともいえる。だから負ける前に辞める決意をした。やがて負けることがわかったとき、続けない選択をとったのだ。
 しかし勝負の2打席目、最初はツーストライクをとったものの、ファールを打たれ、動揺によってボールを重ね、だんだんと力負けしていくのがわかる。
「これで最期(きめる) 負けたくない 負けたくない 勝ちたい いや、勝つ――!」そしてホームランを打たれる。
ここで初めて表立って負ける。身長の差という気がつかないようにしていた「負け」が、否定できない形で現れた。ここで負けるのは不本意だったのだろう。
 おそらく年齢を重ねるにつれて有利だった体格差(身長差)がなくなり、勝てなくなってきたのだろう(実際「三年の大会は残念だった」という言葉から公式戦では負けていることがわかる)
 本当に好きな野球を「負けたくない」から辞める選択は本人としても不本意で「格好よくない」ことだ。だから「無敗のまま格好よく」辞めるという名目になる。
 ここで吉田に勝っていれば、「格好よく」野球を辞められるはずだった。
 しかし実際は負けてしまう。そこで「格好よく」終わらせるために「白球の葬式」というイニシエーションを通じて、未練を切断する必要があった。
 葬式をひとりで行うのではなく、吉田を誘い一緒に行ったのは見せつけの意味合いが強い。燃やすものが敗因となった勝負球(おそらくホームランボール)なのも象徴的だ。
 しかしそんな儀礼的な抗いで野球への未練が収まるものではないだろう。その負けない格好良さの、ある種のうぬぼれを一緒に競ってきた吉田が見逃すはずがない。それが「悔いは?」の問いである。
「悔いが残っていないのか」、という問いに一度瀬川は「ない!」と答えが、すぐに「嘘だろ?」と指摘する。そこでようやく「少しはある」ことを認める。野球を辞めること(=「いざ死んだら」)は選んだものの、格好よく終われなかったこと、悔いがあることを告白する。
 そこで吉田は「格好良かった」ことを告げる。「いっつもムカツクくらい格好良かったから 俺は「瀬川弥生」に勝ちたかった」同じ負けず嫌いの性格で「3年いがみ合った仲」だから言えることだった。
 「女子」ではなく「瀬川弥生」という一個人としてみる。蔑みからライバル、憧れへと変容していく。体だけではなく精神的にも吉田は成長していることが見てとれる。
 そして同時に吉田が瀬川へ送る決別の言葉でもある。ここで吉田にあって瀬川にないものが明確になってくる。それは「負けない」ために辞める瀬川と何度負けても瀬川に挑んでいく吉田の違い、負けても諦めない、不屈の精神だろう。
 最後の「吉田なのにムカツク」のは、瀬川自身が持たなかった不屈が格好よかったからだともいえる。ようやくここまできて瀬川は「格好よく」野球を辞められたのだ。

 最終頁の月に向かって二人で歩く後ろ姿のシーン。男性的な骨格と女性的な骨格、決定的に違う残酷な成長の差。その差を明確に示す構図は身長の違いに気がつく16頁と同じだが、ラストは明るい。弔うことで死者をへの未練を断ち切るように、野球への未練も断ち切ったことを示すラストになっている。
 諦めを受け入れた諦観であり、その諦めを受け入れる決別。
 このあと二人はどうなるのかはわからない。葬式で弔われた「瀬川弥生」は野球を辞め、「骨を拾」った吉田は野球を続けていくのだろう。
 その後はわからない。関係性も、吉田が良い選手になるのかも。しかしこのわからなさは何にでもなれる自由でもあり、その可能性を青春と呼ぶのだろう。