ようたろうのメモ

ウマ娘にハマったので、雑誌や本から関連しそうなものを抜き書きしています。妄想創作考察などにお役立てください

古井由吉『こんな日もある 競馬徒然草』(講談社)

 ツイッターのSMS認証がうまくいかないのでブログに書いておく。

 

 古井由吉『こんな日もある 競馬徒然草

 作家が当時の状況を書いて残しておくことの大きな意義は普通であれば忘れ去れてしまうささやかなことを後世の人間に伝えられることだ。当時のデータを書くことはライターでもできるが、そのときの天候の状況や社会の動き、また世の中に影響された心理の動きを衒いなく書ける人はそうそういない。

 この本を読みながら、目に止まったのは日本を襲った二つの震災についてとその後のレースをみたときの感情が変わってしまったという正直な記述。

その日は私にとって原稿の締切間際にあたり、テレビの前に釘づけになっているわけにはいかなかったが、仕事の最中にふわりと腰を浮かせて居間のテレビをのぞくと、そのたびに被害が拡大していた(p93)

  今年に入ってからどんな馬たちが重賞を制したのかーー震災を境にそれ以前の、サクラローレルのこともワコーチカコのことも、マイティーフォースのこともメイショウテゾロのことも、ライブラリマウントのことも、なにか遠く思われる。(p95)

 

 揺れのおさまったところでテレビに飛びつくと、東北の三陸沖の大地震と伝えられた。(中略)仕事にもどって半時間もしてからまたテレビの前に坐った時には、何が起こったのかしばらくわからなかったが、ひとしきり大津波の寄せた後だった。(p256)

  画面がなにか遠く見える。馬群が向正面に深く入っても、展開がろくにつかめず、まさかレース中に大地震が起こるとも思っているわけではないのに、はらはらとして見ている。(p258)

 

 また競馬を通じて含蓄のある言葉も多く、楽しい。

 馬は負けさせてはいけない。負けさせないことに越したことはないが、なにぶん一レースで勝つのは一頭だけなので、負けることは是非もない。しかし無残な負け方だけはさせてはならない。とそんなことを言う人もあるようだが、夏の新馬戦や三歳ステークスについては、大半は惨敗のかたちになる馬たちにとって、あらかじめどんな配慮があるのだろう。そして予後はどう手当てされるのだろう。

 負け方が大事なんだな、人間にとっても。ところがその大事な負け方の心得を、きちんと青少年時代に教えておかないんだな、今の世の中は。これこそ酷なことだ。(P29-30)

 そして実際のレースや馬を見る視点は、まるで読者までその場所で同じものをみているような気分になる。お気に入りは1996年のジャパンカップの記述。

 向正面、カネツクロスを先頭に、エリシオが行く、ファビラスラフインが内にいる。それから一枠の馬、これはゴーゴーゼットではなくてストラテジックチョイスだろう。バブルガムフェローもその辺に見える。やや離れて七枠のもう一頭、シングスピールもつけている。それぞれ順当な位置取りだ。そこで双眼鏡をはずして、遠く豆粒ほどにつらなって流れる馬群へ、疲れた目をあずけた。ペースは遅くなく、淀みもない。どの馬も折り合っているようだ。欅あたりまでは馬順に変わりもあるまい。双眼鏡を構えることもない。(中略)双眼鏡をあてようとしたが、直線の坂を馬群がもう近づいてくる。ここは肉眼で見たい。馬群が坂を駆けあがってくると肉眼にとっては、近づいて来るはずの馬群が混沌の中へ入ってしまう。混戦のせいもある。刻々増す迫力のせいもある。目と心が騒ぐせいもある。そんな時、馬たちの姿を定かに見分けようとしても無駄である。むしろ混沌は混沌のままにして、その中からなにが抜け出してくるか、待つのがよい。ほんの三秒ぐらいの間のことだ。まわりの人の騒ぎ叫ぶ中で、ひっそりと静まる数秒、これが肉眼でレースを見る醍醐味である。(中略)肉眼で見てもゴールに駆け込んだ勢いもタイミングも、シングスピールの勝ちと見えた。いまさら膝が震えた。鼻差と判定が出た時、もう一度、震えが来た。(p119-121)

 読み返すたびに想起するものが違う文章は良い文章だと思っている。配信映像やデータだけでみている競馬から、さらにもうひとつ違った視点を得られるに違いない素晴らしい文章だ。

 

 ただし、この本の作りには不満が多い。まずこの『こんな日もある(競馬徒然草)』は三十年以上書かれてきたエッセイの抜粋であるが、そのことがどこにも書かれていない。それどころか初出で

 「優駿」(日本中央競馬会発行)

 一九八六年四月号~二〇一九年二月号

 とあり、これでは三十年不定期の連載を載せただったのかと誤解しかねない。(もちろん三十年分全て載せることは今日の出版事情や本の厚みからして不可能だとは思うが)さらに目次には「こんな日もある」と「競馬徒然草」しか書いておらず、そのエッセイが書かれた年月日のデータが本文中のタイトルと末文にしかないところだ。古井由吉の文章を楽しみたい人にはいいだろうが、競馬を楽しみたいと思う人はあの年のあの日に走ったあの馬はどうだったかも知りたいのだ。(特に1992年、1993年、2012年~2018年のエッセイが丸々収録されていないのは驚いた。そのためミホノブルボンライスシャワーウイニングチケットキタサンブラックなどは載っていない)

 索引までとはいかないがタイトルとページ数くらい目次に載せて欲しいと思った。あと抜粋の基準もおそらく社会情勢についてなにか書かれているときだと感じた。